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長女のハイスクール入学 [ハイスクール]

数年前にハイスクール手続きのところで途切れていたので、入学について書きます。

さっき手続きの自分の記事を読み返していたけど、
なんのことかさっぱり分からなかった〜(笑)
なんだかすごく悩んでたことだけは伝わってきました。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとはことの事ですね。

さて、結論から言うと無事に長女は希望通りのハイスクールに入れました。
私の記憶を逆算していくと、
おそらく私はあの時、自分の次のコースに申し込まずに年を越したので、
長女のハイスクールはビザが残っていた1学期分だけ払って入学手続きをしたのだと思います。
しかも、請求書は長女と次女がセット度きていたと思うので、2人分の1学期分の学費と延長手数料を払い(延長手数料は一人分だったような記憶がうっすらと)、
そして2学期に再び延長手数料と学費を払ったように記憶しています。
と言うか、
そう言う問題よりももっとギョッとする事実にその後直面するのですが・・・。
それはまた後ほど。

さてさて、長女のハイスクール。
8年生(高校1年目)、9年生(高校2年目)を過ごし、私たちは日本に帰国することになりました。

まず、長女の勉強面から・・・
7年生(小学校7年生)の時に、ようやく勉強面で成果を出せるようになってきた長女ちゃんです。
それまでは、スピーキングがすごく苦手、英語が出来ない、と言う意識が強くて成績もあんまりでした。
ですが、7年生の時に転校してインターナショナルな学校になったせいなのか、それとも時間が経過して英語が少し伸びてきたからなのかよくわかりませんが、
成績が急に伸び出しました!
しかも、国際バカロレアのPYPで最後の年で勉強したのですが、理科で満点の7を取って、
バイオテクノロジーで卒論的なプロジェクトをしたのがすごく評価され、
先生からすごくいいコメントをもらうことができました。
そこからは、ハイスクールに入ってからも割と好成績で、特に問題もなく過ごしました。

そして人間関係・・・。
これは相変わらずぎこちなかった(汗)
長女ちゃんは日本の小学校に行っていた頃から、人間関係をうまく作ることができない引っ込み思案な子で、
小学校には必ずお世話好きな子がいて助けてくれていたのですが、
ハイスクールに入ってからはそういうポジションの子がクラスには居なかったようです。
それでも、なんとかお友達らしきものを作って、スリープオーバーとかにも行ったりしてたけど、
あんまりハッピーな人間関係じゃなかったようです(汗)

長女は私に対して悩みを相談したり、そういうのを全くしてくれなくって、
私も聞くことは聞くけど、ほとんど実情を把握してませんでした・・・。
当時から何となくハッピーじゃないことは気づいてはいたのですが、
やっぱり人間関係は結構苦労したようです。
これは日本に帰国して随分経ってから、長女に不満としてブチまけられました(汗)

長女いわく(あくまでも長女いわく)、
オーストラリアのハイスクールはイケてるグループとイケてないグループにはっきり分かれ、
アジア系の女の子のほとんどはイケてないグループになって肩身がせまいとのこと。
さらに、上級生からのイタズラも相当キツイらしい。イジメとまではいかないけど、嫌がらせ?イタズラ?があって、
アジア系の新入生はターゲットになりやすいらしい。
だから、クラスでもお友達と言える子がいるのか分からない。残り物の集まりで一緒にいるような感じ。
その中でも長女は引っ込み思案で挙動不審なので、
「何で一緒に来るの?」みたいに言われたこともあるらしい・・・。

か、かわいそうに(涙)

これは、日本の高校3年生になってようやく長女の口から明されたことです。

私は当時は具体的に把握してなかったし、知ったからといって、
「頑張れ!ニコニコ笑っていたらお友達もできるよ!」
なんてありがちなアドバイスを送っていたことだと思います。

あの時私はどうしてあげたら良かったのか、今も考えますね。

でも、大学生になって長女はすごく今ハッピーで、
「オーストラリアは辛かったけど、バイリンガルにしてくれたことには心から感謝している」
と言ってくれています。
オーストラリアに留学する以外にもちろんいろんな選択があったことだとは思うけど、
バイリンガルにしたいという母の思いと、
バイリンガルになって良かったという長女の今の気持ちは一致してるので、
長女の6年半に渡るオーストラリア留学はとりあえずは成功なのかな。
オーストラリアではもちろん楽しいこともたくさんあったみたいだけど、
ちょっとトラウマになっちゃうほどの辛い出来事は、
長女は春になって花開く前の、厳しい冬の時期としてとらえようと思います。

そうは言ってますが、
実はオーストラリアを離れる時、長女のお友達がたくさんお別れのメッセージをくれて、
みんなで撮った写真をフォトフレームに入れてプレゼントしてくれました。
やっぱり寄せ集めじゃなくて、お友達だったんじゃないでしょうかね(汗)
多分、長女が心を開いてあの子たちと接することができれば、もう少し楽しいハイスクール生活になったのかもしれません。

ハイスクール在学中は、実はとても悲しい出来事もありました。
とっても人気のあった長女のクラスの担任の先生が亡くなってしまいました。

9年生になったばかりの時でした。
前年に続き、いい先生が再び担任についてくれたので「本当に良かったね」と長女と話してからすぐのことでした。
3連休の時に、スピア・フィッシングをしに海に潜っていた先生がサメに襲われてしまったのです。
月曜日に学校に行って、子供達はその事実を知らされました。
金曜日には先生は亡くなっていたのですが、テレビのニュースで子供達が知ってしまうとパニック状態になってしまうからと、報道は学校で子供達に伝えられるまで規制されていたとのことです。

クラスだけではなく他の学年の生徒からも慕われていて、
「クラスの悪い子が授業中にビデオゲームをこっそりやってるのを見つけたら、
『そのゲーム、めっちゃ面白いよな。僕も大好きだよ。でも、授業が終わってから遊んでよね』
っていう風に注意するんだ。本当にクールな先生だったよ」
と、いうエピソードを聞いたりしました。

聞いた直後は本当にクラスの子は動揺して、半分以上の子がパニックになってすぐに帰宅したそうです。
すぐさま専門のカウンセラーがおかれましたが、それから1ヶ月ほどは子供達は不安定な感じでした。

本当に本当に悲しく、6年間のオーストラリア生活で最も辛い出来事でした。


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